古峯神社

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 古峰ヶ原ライドで訪れた古峰神社の歴史が知りたくて時間を見つけては調べてみた。余韻に浸りながら走ったコースを思い返すのは僕の癖みたいなものだ。はじめて訪れる土地の歴史や文化などは興味深いものがある。調べているうちにだんだんと話が深くなっていき、難しくなるのできりがない。ここは簡単にまとめて自分用に書き残しておきたい。

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 古峯神社(ふるみねじんじゃ)が正しい御社名。栃木県鹿沼市草久古峯ヶ原(こぶがはら)に鎮座。古峯ヶ原とは地名(神社の所在地)になり広大な領域の中に古峯の大神様が鎮まっている。

 御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)第12代景行天皇の皇子。天皇の分神として国家の統一に大きな業績を遺された神様とされている。焼津の原(現在の静岡県)での火難を除かれた故事により、火防の神として、また走水海(現在の静岡県から千葉県にかけての一帯の海)での、海神の怒りを鎮め奉ったという故事から、海上安全、大漁満足、或いは五穀豊穣の神として、農村・漁村の人々より熱烈なる信仰を集めいる。

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 約1300年前に隼人が京都からこの地を訪れ、日本武尊の御威徳を慕いつつ京都よりこの古峯ヶ原に移ったのが始まりといわれている。その後古峯ヶ原は日光という神仏の霊地を開いた勝道上人(しょうどうしょうにん)という僧侶の修行の場となった。上人は日光開山に先立ち、天平宝字元年(757年)のある夜、北方の大山の頂上に大剣が立っている不思議な夢を見て、大剣峰(横根山)に登り3年間修行をした後、薬師寺で研学、再び大剣峰に登り庵を結んで修行したといわれている。この庵のあったところの周囲の堀が巴文(ともえもん)に似ているところから、巴の宿と名付けられた。現在の深山巴の宿(じんぜんともえのしゅく)である。その後日光の男体山(なんたいさん)に初めて登頂し大日光開山の偉業を成しとげた。上人の修行にあやかって、日光の僧坊達は年々古峯ヶ原に登山し深山巴の宿で祈願を込め修行する慣わしとなり、その修行は明治維新に至るまで、約1000年続いたとされている。明治初年には太政官布告(だじょうかんふこく)により、神仏分離が行なわれ仏具一切を取り除き、純然たる古峯神社となった。

※深山巴の宿 :古峯ヶ原高原の足尾境に位置し、石祠には勝道上人・日本武尊が祀られ、日光修験の峰修行の拠点となっている。
※隼人 :古代日本において薩摩・大隅(現在の鹿児島県)に居住した人々のこと
※太政官布告 :明治時代初期に太政官によって公布された法令の形式
※神仏分離令 :慶応4年(1868年)神仏習合を禁止し神社(神)と寺院(仏)を区別させた。
            仏教排斥を意図したものではなかったが廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起こった。
※廃仏毀釈 :仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃すること。

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 古峯神社は「天狗の社」とも呼ばれ、神社内には所せましと天狗の面等が奉納されている。これは熱心な崇敬者から奉納されたもの。天狗はご祭神のお使いとして、崇敬者に災難が起こった時にすぐに飛翔して災難を取り除いてくれる偉大なる威力の持主として根深い民間信仰を集めている。顔が赤く鼻の長い天狗を「大天狗」、黒いくちばしのある天狗を「烏天狗」という。




 この際、ご朱印でも集めようかなと思っている。でもダムカードも集めたいしなぁ…むむむ。
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by moccosupedal | 2013-11-07 12:27 | Soliloquy


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